徳願寺は吉川英治の宮本武蔵にも出てくる浄土宗のお寺で、行徳浦安観音霊場の第一番札所でもあります。行徳は寺院が多く「戸数千軒寺百軒」と言われたお寺の街なのです。権現道といって徳川家康が鷹狩のときに歩いた道があるのですが、今回は見送りました。徳願寺を出て寺町通を少し歩くと左手に細い道があります。今は住宅街のようですが、車が入れないからストリートビューも入口の部分だけしかありませんでした。この街はバイクより歩きのほうがアクセスしやすいですね。でも、写真くらい撮ってくればよかったと慙愧のいたり。
徳願寺は小説宮本武蔵の6巻で伊織が豊前小倉城主細川忠興の家職である長岡佐渡に出会う場所でもある。長岡佐渡も実在の人物で、小説だから都合よく書かれているわけだけど、のちに武蔵の九州滞在に影響する出会いは、ここではすれ違いに終わっている。
現在の徳願寺は広大な敷地にさまざまな堂宇があり大きな斎場が併設されている。ペットの供養塔があり、毎年大晦日には1000人もの人が鐘を突くそうだ。
いろいろ見て回るとおもしろいものをみつけるものです。徳願寺の縁起を読んでいたらの「不許葷酒入門内」の戒壇石がありました。浄土宗の寺院にあるのはめずらしいのでは。奥に見えるのが本堂です。
縁起によると徳願寺はもともとは浄土宗勝願寺の末寺だったが徳川家康の帰依により新たな堂宇が建立され徳川の徳と勝願寺の願をとって徳願寺と名付けられた。本尊の阿弥陀如来像は、北条政子が運慶に彫らせたと伝えられ家康が秀忠夫人(大河でも取り上げられた「江」ですね。)のために鎌倉から江戸城に移し、婦人の逝去後徳願寺に移され本尊となったとのこと。家光のころから本尊供養料として朱印10石が与えられたとある。
寺務所の前にある宮本武蔵供養のための石地蔵。「新免宮本武蔵藤原玄信二天道楽大徳菩提」と書いてあった。武蔵筆とされる達磨絵も寺宝として所蔵されているそうだから、武蔵がほんとうに行徳に来たような気になってしまう。
徳川家康も鷹狩の折に徳願寺を訪れたかもしれないし、伊織と武蔵が住んでいた法典ケ原の小屋も実在したような気になってしまう。 史実も小説も物語なりだ。
ご朱印帳を寺務所に預けて、境内をゆっくり歩こうと思ったのだが、少しお天気がよすぎるので体力消耗を防ぐため、ベンチにすわって水分補給をしながらぼーとするなど。日差しは強いのだがカラッとして過ごしやすい。しばしの休憩ののちに最初から気になっていたペットの供養塔まで行ってみた。わんこやにゃんこの石像が並びお塔婆もたくさん立っています。
達筆なご朱印もいただいたので藤原観音堂へ向かいます。山門の脇に止めたバイクを慎重に後退させ方向変換。このあたりは一通が多いので地図を確認。公園の前を直進するとすぐ県道6号です。
法典ヶ原まで小説では一里となっていましたが、観音堂まで8キロ弱、きょうは土曜で中山開催日なのでどの程度渋滞するかわからないので早めに出発です。
観音堂は木下街道(きおろしかいどう)沿いにあります。まず植草せんべい店を目指すことに。