SAW3

子供をひき逃げされたジェフ(アンガス・マクファデン)が今回のゲームのチャレンジャー。ジェフとは別にジェフの妻の外科医のリン(バハール・スーメキ)もジェフのゲームをジグソウが最後まで見とどけるためにジグソウを生かしておくという役割で、ジグソウの死=自分の死というルールの元、別のゲームが進行する。
この時点では観客にはルールと、ゲームクリアとゲームオーバーの結果(あくまで想像)しかわからず、さまざまな仕掛けはひとつずつ表れる。
死を間近に控えたジグソウが、生きていることに感謝しない人間に対して仕掛けるデスゲームというのが建前なのだが、ややあいまいだ。人間は死が間近に迫らないと、それが自分の死であっても、自分の大事な人の死であっても、日々の生への感謝や死に行く者への愛情、また生きることへの執着が率直に表せないものだ。亀井勝一郎も同じようなことを言っている。
死んだ息子の復讐心に燃える男(ジェフ)が、復讐するべき相手が、自分がこのまま放置すればまもなく死に至るであろうという場面に直面する。息子をひき逃げした犯人、それを目撃したが証言しなかった女、そして犯人に軽い罪しかあたえなかった判事の3人。
ジェフは、気持ちの中では許しているわけではないのだろうが、まともな人間であれば、人が生きながら凍え死んだり、豚の内臓に埋もれてしまったり、体をねじ切られたりすることを、平気で見ていることはできない。許すとか許さないという問題の前に、本能的に人が死にいくさまを見る恐怖から逃れようとする。
しかし、残酷にも、ゲームには時間制限がある。いくら許すまたは助ける気持ちが復讐心を抑えたとしても、タイムオーバーでひとつひとつのゲームのフレーズが終了する。つまりは身も蓋もないのだ。
今回は二人のゲームとは別にジグソウ(トビン・ベル)の弟子のアマンダ(ショウニー・スミス)が主役といってもいいくらい、彼女にスポットライトが当てられている。アマンダのキャラクターは、1と2ですでに明らかにされているが、3ではさらに、彼女の激しさや、同姓の超エリートである女医のリンへの嫉妬や劣等感、ジグソウへの愛情、ジグソウの死に対する恐怖や孤独感が表に出ている。ジグソウを慕い、ジグソウに指示されるままに行動してきたが、ロジカルな考えができず、自分の気持ちをもてあます。これがストーリーの展開と関わってくるのははっきりしている。
アマンダは、自分自身もまた今回のゲームのプレイヤーであることを知らない。3では1に続き再度アマンダ自身も試されるのだ。1でゲームをクリアしたアマンダが2ではジグソウの忠実な配下となりつつも、3で再度ジグソウに試されるのだ。なぜアマンダが試されなければならないのか、理由はアマンダ自身にあり本編を見ればわかるので、ここでは触れない。
アマンダにもチャンスはあったのだが、大方の予想通り自滅へのシナリオを選んでしまう。アマンダがゲームのルールを守らなかったことですべてが台無しになってしまうラスト。
しかし、ゲームはまだ終わらない。すでに新たなゲームが始まっているのだ。ということでSAW4に続く。
1、2と見てくるとだんだんストーリーの予測はできてしまうが、完全ワンパターンにはなっておらずそれなりに見応えがある。グロテスクなシーンや衝撃的なシーンは、このシリーズの見所なので、それ自体をグロいとか、怖いとか、もう見慣れて飽きたとか言っても仕方がない。
ということで、シリーズ3本目にしては予想を裏切らない1本だった。