10月28日は浅草寺の恒例の写経供養会だ。今回で51回目なのだが、今年は浅草寺本堂落慶50周年記念大開帳の期間に行われるということで感慨深い。毎回写経供養会のことを書いているので内容が重複するが、浅草寺の写経修行のはじまりは東京大空襲によって焼失した本堂が昭和33年に再建されたのを機会に、百萬巻奉納写経として観音経(法華経のなかの普門品)の百萬巻奉納を目指している。ちなみに東京大空襲の際にご本尊は幸いにもお堂の真下、地中3メートルの青銅製の天水鉢の中に安置されていたので無事だったそうだ。天水鉢は現在写経供養塔である淡島堂前にある。
写経をするのは我々一般の信徒で、誰でもできる。あたしも毎年一巻ずつ納めている。そして毎年10月20日までに納められた写経を浄写者の所願成就を祈念して、ご宝前に写経を安置し法華経(法師品)で経巻供養の方法として説かれている十種供養という法要で供養するのだ。浅草寺では、十種(華、香、瓔珞、抹香、塗香、焼香、幢蓋、衣服、伎楽、合唱)の供物を浅草寺幼稚園の10人の稚児(十童子)が宝前に捧げるという非常に優雅な法会である 。一会、二会、三会と三回執り行われるが、あたしは14時からの第三会に参列した。受付で参拝祈念の十種供養散華(今年は抹香)とお供物をいただき法要が始まるまでしばし待つ。今年は平日なので昨年に比べると人が少ないので少しスペースに余裕がある。法要開始前に納経された写経の数が伝えられた。今年で総数714760巻、今年一年の納経数は13867巻(ご志納金500円を納めて求めた写経の納経数)、その他が3325巻、般若心経が78840巻ということだった(20年10月20日現在の納経数)。
法要の少し前に浅草寺幼稚園の稚児行列に選ばれた子供たちのお母さんたいがしずしずと入ってきた。色留め袖で髪はアップにして優雅な出で立ちである。10人の稚児に選ばれることは名誉なことなのだろうが、どの子もきちんと役割を果たすので感心する。相当練習するのだろうが、幼稚園児なのだからなぁ。ひとりずつ与えられた供物を持って後宝前に礼拝し傍らに鎮座した僧侶に供物を渡すのだが、みんなしっかりした子供たちだ。十種の供物が備えられ法要が終了すると信徒たちが順番にご本尊の前で焼香をする。今年は扉が開いているので寺関係の人も多くやや時間がかかったが、あたしも無事に焼香して、愛染明王、裏の部屋の観音さま、最後に不動明王にお参りし、次回の写経セットを1部購入し本堂をあとにした。
お供物は今年も浅草塩埜の抹茶ときな粉もちだ。自宅の仏壇に供えたあとお下がりをおいしくいただいた。前述の通り今年は本堂落慶50周年記念大開帳の期間なので、いつもは閉まっている扉が開けられ、ご本尊の聖観音像を拝観できる(この聖観音像は御前立ちで浅草寺の本物のご本尊の聖観音像は秘仏なので見ることはできない)。本堂内では写真撮影はできないので下の写真は供養会終了後に外から撮ったものだが白抜きの輪の奥に観音さまがいらっしゃる。
本堂前では開帳塔婆のお手綱に触れ観音さまとのご縁を結ぼうとする観光客たちで順番待ちの列ができていた。
ところで、目指す百萬巻写経奉納のなのだが50年で714760巻ということだからあと30年弱かかるのだろうか。近年は仏像を見歩いたり霊場巡りでご朱印を集めるのがブームになっているようだがご朱印の由来は参詣者がお経を書写して寺社に納めることからはじまっている。だから本来は納経帳の右肩には「奉納」と書かれていたのだが、現在は「奉拝」という文字になっている。霊場巡りのスタイルは各自あるだろうが、スタンプラリーと勘違いしている人も多い。それはそれでよいとする人もいるが、少なくとも浅草寺では、ご朱印だけを集めて歩くのでは、本来の意義を無視しているので、せめて般若心経または観音経偈文などを書写するか、後宝前で読誦したあとにしていただきたいものだとと説いている。
きっかけはなんでも良いと思う。あたしは特別な祈願があるわけではないし、信仰や信仰の無理強いをする者でもない。いつも新鮮な気持ちで善きも悪しきも自分の人生。その不思議な人生に向かい合えればいいと思う。毎年一巻の写経、興味がわいたら是非一度やってみませんか。浅草寺『写経の会』については浅草寺第50回写経供養会を参考にしてください。問い合わせは浅草寺教化部へ(代表:03-3842-0181)